こんにちは。なみだれです。
今回からは、フジミの扶桑(昭和10/13年)1/700、特007になります。
昭和10年と13年を選択できますが、今回は昭和10年バージョンで作っていきます。

扶桑といえば、違法建築じみた背の高い艦橋で有名です。少し調べたのですが、扶桑の艦橋高さは水面から50m以上(ビルだと12階建て)であり、2倍以上の排水量の戦艦大和の40m強よりも高いです。
扶桑とはどんな船
まずは、扶桑の歴史を調べてみました。
WIKIから引用します
扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の名の由来は日本国の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1878年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。
引用はここまで。
略歴は以下の通り。
1914(大正3年)進水。2回の近代化改装で太平洋戦争開戦(1941(昭和16年))。
1935(昭和10年)は2回目の近代化改装後となる。
太平洋戦争の中盤ころまでは、ほぼ練習艦として使用されていた。
1944(昭和19年)のレイテ沖海戦で西村艦隊の1隻として参戦。アメリカ軍の雷撃で横転、爆沈した。
2017年、ポール・アレン氏の調査チームが、フィリピン南部スリガオ沖の海底で扶桑等西村艦隊の5隻を発見した。
艦中央部にある第3・第4砲塔の弾火薬庫が誘爆し、前後真っ二つに割れて別々に沈没したため後部のプロペラなどの映像が公開されています。
主砲の数が多く船体に6基12門も設置されています。この多い主砲のため全問一斉斉射では、散布界(主砲弾の着弾の広さ)が広くなってしまうとも言われていました。またこの主砲配置のため機関の大きさに制限がかかり、太平洋戦争時の日本戦艦では最も遅い22~25ノット(時期によっても変わり諸説あり)しか出せませんでした。
最初にも書いたとおり艦橋の高さも大和よりも高く、いろいろと無理のある船のようです。ただ、日本が初めて設計した戦艦だからしょうがないかもしれません。この経験があってこそこの後に続く、長門型、大和型といった高性能な艦を建造できたのだと思います。
今回の制作では、エッチングパーツは使わず、ほぼ素組で作っていきます。一つだけ錨のチェーンだけは、手持ちの微小鎖に替える工作をします。
甲板の塗り分け
最初は、艦首の錨のチェーンのモールドを削りました。
モールドを削るときは、下の模型用ノミを使うのが、早くきれいに削れます。完全に削り取ろうとすると木甲板まで削ってしまうので平らにする程度にしました。あとで上から鎖を接着するので見えなくなります。
鎖モールドを削った後は、塗装です。木甲板は水性ホビーカラー(H-27、ライトブラウン(タン))と指定があるのですが、近い色のMrカラースプレー(39、ダークイエロー)があったので下地に塗ってみました。その上から筆塗りで水性ホビーカラー(H-27、ライトブラウン(タン))を塗りました。

甲板上の小物や側面の壁部分は、水性ホビーカラー(H-83、軍艦色(2))で筆塗りしていきました。

上の写真の赤丸部分の穴は、昭和10年仕様では、不要です。下の写真のようになってしまいます。昭和13年仕様の説明書を見るとT25、T26がここにはまるようです。この穴はパテで埋めるか、T25とT26のピンをはめて、埋めると良いでしょう。私は、下の写真のように組み立ててから気づいたのでジャンクパーツの中から箱状のものを選んで、穴を隠しました。

1mmのピンバイスで最初は穴を開けたのですが、鎖が入らなかったので、1.5mmのピンバイスで甲板の錨の鎖口に穴を開けました。

上から見た写真だとよく分かるのですが、1.5mmでは少し穴径が大きすぎた感じです。1mmのピンバイスをぐりぐり回して、少しだけ穴を大きくするほうが、フィットしたと思います。

舷窓などの穴開け
組み立てに必要な穴開けをしていきます。昭和10年で制作するので必要なのは、2つの部品に対してです。
まずは甲板パーツB1の煙突を付ける部分あたりに0.8mmのピンバイスで穴を開けました。

もう一つは主砲パーツS19にカタパルトを取り付けるため0.6mmのピンバイスで4箇所穴を開けます。パーツの裏側にくぼみがあるのでそれに合わせます。

私の場合、後部艦橋のパーツの一つT82の穴が貫通していなかったので0.7mmのピンバイスで穴を貫通させました。下の写真の黒丸パーツです。

ここまでは制作に必要な穴開けでした。この後は、舷窓のモールドに穴を開けて、見栄えを良くする工作をします。フジミのパーツは、モールドが比較的くっきりしているので効果が小さいと感じるかもしれません。モールドが繊細(薄い)なアオシマだと船体の舷窓に穴開けを施すと、メリハリがついて引き締まって見えます。
下に舷窓があると思われるパーツを羅列しておきます。(昭和10年でしかチェックしていません)
船体A1、M2、M3、M4、M31、S1、S11、S12、S26、S27、N56、N57、N70、N71、N73、N75、N76、T16、T24、T35、T64、T65、U1
この内M4は、舷窓ではなく支えの肉抜きの穴開けです。私は前部0.3mmのピンバイスで穴開けをしました。前部でのべ2時間程かかりました。
最後に甲板の壁パーツN56、N57だけ取り付けました。

先程、舷窓部分に穴をあけたパーツを切り出しました。

貼り付けました。

このブログでは初めての戦艦です。私にとっても1年以上ぶりの制作になります。皆様の制作の参考になれるようがんばります。
扶桑(昭和10年、フジミ)の製作記②(艦橋基部と主砲の組み立て)に続きます。
では、今回はここまで。